頭が悪いということ/バカにするということ 〜 Tower of Fool 〜

心の中でバカにして、とても後悔をする。
「どうして、僕の言っている事が分からないのだろう?」と……。
コミュニケーションの場で知能の差が即、力関係になることは多々あると思う。教師と生徒や、大人の親と小さな子どもの関係なんかを見れば比較的分かりやすいのではないのだろうか。


「どうして、僕の言っている事が分からないのだろう?」に関して言えば、コミュニケーションの本質は非コミュニケーションにあると思うので、当然なのだ。通じない、伝わらないが当たり前。通じたと思ったら、誤解だったり。それでも、全く伝わらないわけではない。だからある意味たちが悪いのかもしれないんだけど。
言葉が伝わるなんて、電波ゆんゆん出ている人のたわごとだと思うんだ。


でも、全く伝わらないほど閉じているとは思えない。「正確には伝わらない」そして、どの程度伝わるかはシンクロ率ではないのだろう、他の何かなのではないかと。


話は戻って、
心の中でバカにして、とても後悔をする。
「どうして、僕の言っている事が分からないのだろう?」と……。
コミュニケーションの場で知能の差が即、力関係になることは多々あると思う。
僕の場合なら、利用者と利用者、利用者と支援員の間なんかを思い出す。力関係って側面でしか関係を築けないなんて寂しすぎるけど、まあ、やはり、力関係ってある。だけど、それが固定化さえしなければ、問題はない、と思うんだけどなぁ。


固定化してしまうんだよな。プロとは思えない言葉だけど、僕がバカで、さらに、福祉の勉強なんかしてこなかったからだろうか。


たまに、ハッと気付いて死にたくなるけど、それにも慣れてきて、さらに死にたくなる。メタループというよりメタスパイラルの完成。しかし、そんなことに悩まずにいれるカシコな人たちを見ると、学歴コンプとあいまって怒りと悔しさがこみ上げてくる。こいつら、へらへらバカにしやがって、と。IQと偏差値に税金かければいいのに。


知性なんてものに意味がないなと思ってしまうのは、やはり、本来は知性ってのは知性のない者のためにあるものなのに、ほとんど、知性のある者が知性のある者のために使っている点において意味がないな、と。そんなことも気付けないのかよ、と。


頭がいいヤツはバカが嫌いなヤツが多い。バカを理解しようなんて思わない。バカと関わりたくないヤツらだ。カシコはバカを檻の中に、もしくは柵の外に行かせたい。現に行っている。教育なんてバカのためにあるだろうに、とかは、わかりやすいかな。知的障碍者なんて意識の外だよね。罪悪感すらないんだから。反省なんてできない。